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◆Date:2014年05月
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- 05/14 晴天の下、碧海に浮かぶ”いっちょこぎ” - △ 風 景
- 05/08 人里離れた歩道脇に咲く紫酢漿草(ムラサキカタバミ) - □ 花
- 05/05 川のせせらぎに新緑の風薫る粟又ノ滝 - △ 風 景
- 05/03 村の社に漂う白藤の甘い香り - □ 花
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ゴールデンウィーク真っ只中の5月4日。
友人とカメラを携え、”房総のへそ” 養老渓谷の一部である
粟又(あわまた)ノ滝に来ていた。

図らずもこの日は、「みどりの日」。
自然に親しみ、無くてはならないこの貴重な自然に感謝する日である。
出発前、まるで夏が一足早く訪れたのかと思うほどの暑さに
つい空に浮かぶ太陽を仰いでは、その眩しさを恨めしく思ったが、
一面新緑に覆われた中、川のせせらぎが涼やかに響く河原では、
むしろ若葉一枚一枚を明るく照らす太陽が、何よりも素晴らしい自然の贈り物なのだと
私は森を見上げて再認識した。

粟又の滝。袋田の滝や華厳の滝などの滝と比べると、様相はまるで違う。
名こそ滝と付いているが、なだらかな岩肌を水が滑っているのだ。
河原では子供が元気に遊んでいる。元来そういうものである。
昨今、”怪我してはいけないから””危ないから”と理由を並べては
子供を外で遊ばせない親が増えているが、”怪我をしてこそ学ぶ”のだと思う。
話は少しずれるが、私が保育園に入った頃、
料理の手伝いといっては母の立つ横に椅子を置きその上に立って、
子供なりに頑張って包丁を持ち、野菜を切ったり魚を捌いたりした。
無論、手を包丁で切ったり、鍋の縁やはねた油で火傷したりしては泣いていたが、
その経験をしてこそ、”どうすれば危ないのか””どうすれば危なくないのか”を学ぶのだ。
閑話休題。
爽やかな川風に時折吹かれながら、
子供達をはじめ、観光客らの元気な声が響く河原であった。

そんな粟又の滝から川下に少し行ったところで、
川べりにポツンと、それでいてなんだか誇らしげに
咲いていた狐牡丹(キツネノボタン)。
(写真はクリックすると大きくなります)
〈撮影機種:Canon PowerShot SX260HS〉 いつもご覧下さり、本当に有難うございます。
友人とカメラを携え、”房総のへそ” 養老渓谷の一部である
粟又(あわまた)ノ滝に来ていた。

図らずもこの日は、「みどりの日」。
自然に親しみ、無くてはならないこの貴重な自然に感謝する日である。
出発前、まるで夏が一足早く訪れたのかと思うほどの暑さに
つい空に浮かぶ太陽を仰いでは、その眩しさを恨めしく思ったが、
一面新緑に覆われた中、川のせせらぎが涼やかに響く河原では、
むしろ若葉一枚一枚を明るく照らす太陽が、何よりも素晴らしい自然の贈り物なのだと
私は森を見上げて再認識した。

粟又の滝。袋田の滝や華厳の滝などの滝と比べると、様相はまるで違う。
名こそ滝と付いているが、なだらかな岩肌を水が滑っているのだ。
河原では子供が元気に遊んでいる。元来そういうものである。
昨今、”怪我してはいけないから””危ないから”と理由を並べては
子供を外で遊ばせない親が増えているが、”怪我をしてこそ学ぶ”のだと思う。
話は少しずれるが、私が保育園に入った頃、
料理の手伝いといっては母の立つ横に椅子を置きその上に立って、
子供なりに頑張って包丁を持ち、野菜を切ったり魚を捌いたりした。
無論、手を包丁で切ったり、鍋の縁やはねた油で火傷したりしては泣いていたが、
その経験をしてこそ、”どうすれば危ないのか””どうすれば危なくないのか”を学ぶのだ。
閑話休題。
爽やかな川風に時折吹かれながら、
子供達をはじめ、観光客らの元気な声が響く河原であった。

そんな粟又の滝から川下に少し行ったところで、
川べりにポツンと、それでいてなんだか誇らしげに
咲いていた狐牡丹(キツネノボタン)。
(写真はクリックすると大きくなります)
〈撮影機種:Canon PowerShot SX260HS〉 いつもご覧下さり、本当に有難うございます。



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